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ステパノの最期

更新日:2020年8月21日

使徒行伝7章からのメッセージ「ステパノの最期」


SDA仙台教会 眞田 治


人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

使徒行伝 7章54~60節


主イエスさまが十字架に御自身を捧げられてから、およそ3年半が経っていたと思われます。当初は「ヘブライ語を話すユダヤ人」が多数を占めていた教会でしたが、増えつつある「ギリシア語を話すユダヤ人」(使徒行伝6章1節)のリーダー7名が選ばれます。その1人が「信仰と聖霊に満ちている人ステファノ(ステパノ)」(5節)でした。続く使徒行伝7章では、2節から53節までの計52節にわたって、彼の説教が掲載されております。「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」(6章8節)だけでなく、「知恵と“霊”とによって語る」(10節)伝道者だったのです。

7章2~53節のステファノの話のうち、前半の大部分は旧約聖書の出来事です。アブラハムから始めてヨセフ、モーセと、ユダヤ人ならだれでも知っている人物の歴史が淡々と語られます。そんな彼の論調が変わったのは48節です。「けれども、いと高き方は手で造ったようなものにはお住みになりません」。47節までは、歴史を振り返ることでユダヤ人としての自分の立場を示して周囲の人々の賛同を得ていたかも知れないステファノですが、この「けれども」を境に、攻めに転じるのです。「けれども、いと高き方は手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言いているとおりです。『主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか』」(48~50節)。この箇所の「主は言われる」以下は、前回の私のメッセージにも書いたイザヤ書66章1、2節からの引用です。ステファノは、自身に対して「この聖なる場所と律法をけがして」(使徒行伝6章13節)だとか、主について「あのナザレ人イエスは、この場所を破壊し」(14節)だとか批判をするユダヤ人たちへの反論として、上記の聖句を用いたのです。神殿という限定された場所を神格化する彼らに向かって、ステファノは、神は特定の場所に制約される御方ではないと訴えたのでした。

ステファノによる攻勢は、それだけでは終わりません。7章51~53節です。

「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

彼らは「律法をけがして」いるとステファノに濡れ衣を着せますが、じつは律法に反していたのは彼らの側で、十戒の第六条「殺してはならない」を犯してイエスを十字架に引き渡したのです。なによりステファノは、彼らに「心と耳に割礼を受けていない人たち」と皮肉を交えて呼びかけていますが、これは、「モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」(6章14節)と彼らによって悪口を言われたことへの応対です。その慣習の代表例が割礼で、あなたたちは肉体には割礼を受けていても、「あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる」(申命記30章6節)等の御言葉が実現していないと、ステファノは、霊的な、心の次元で彼らの罪を指摘し、悔い改めを迫ったのでした。

悔い改めとは方向転換です。反省ではありません。反省は、「あの人に迷惑をかけて悪かったと思っている」とか「もう浮気しません」とかと、個々の行為の過ちを改善しようとすることです。自分には良い点もあって悪い点もあるので長所を伸ばして短所を改めようと考えるのは、反省になります。一方の悔い改めは、もっと根本的で、人生や生活の向かう方向が根底から変えられるのです。部分的ではありません。頭の先から足の先まで自分は罪であって価値がない、だから、すべてを新しくしていただき、新しくしてくださった御方の側だけを向いて生きていくのです。

しかし、長所も短所も含めて自分のすべてが罪だと悟れとは、他人を責めるには簡単でも、自分自身に当てはめると、なかなかできることではありません。いいえ、人間業では、絶対できないのです。だから神業により、聖霊の御業によって実現します。人間にできることは、自分を造り変えてくださる神の御霊を心にお迎えすることだけです。心を開くのです。ゆだねるとか任せるとか表現する人もいらっしゃいます。いずれにしても私たちにできるのは、聖なる霊を受け入れることだけです。それに続く方向転換は、聖霊ご自身がしてくださいます。「天の神さま、あなたの御意志のままに私の魂を用いください。聖霊によって魂を満たしてください。」

「あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています」と、ステファノも周囲の人々に語りました。ステファノを迫害すること自体よりも、聖霊を受け入れないことのほうが重大な罪なのです。けれども、ステファノによって罪を示された彼らは、現状維持の側を選びたいばかりに、神の促しを否定したのでした。

冒頭の聖句をもう一度読みましょう。使徒行伝7章54~60節。

「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」


ステファノの最期の場面には、主イエスさまを連想させることが、いくつも描かれています。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ福音書23章34節)との御言葉と同じく、自分を苦しめる人々の赦しを請う祈りです。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」は、主が十字架で息を引き取られる直前の「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(46節)を思い浮かばせます。イエスが満たされていたように「ステファノは聖霊に満たされ」ていたので、聖霊なる神ご自身が祈りを授けられたのかも知れません。見るものに似るのです。

しかし主イエスとステファノとで、異なる点もあります。たとえばイエスさまは「父よ」と父なる御神に祈りを捧げているのに対し、ステファノは「主イエスよ」と祈っています。仮にもイエスさまが「主イエスよ」と祈ったのでは、御自身に対してになりますから、ありえないことですが、父なる神と子なる神の違いを考えるのは重要です。少なくともステファノは、御父と御子とが別個の御方でありながらも同じく天におられる御両名であることを、正しく認識しておりました。「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った」。

彼が見たのは、「神の栄光」と「神の右に立っておられるイエス」でした。この場合の神とは父なる御神のことですが、彼は父を見たとは言っていません。その「栄光」を目撃したのです。栄光とは、ある御方がどのような存在なのかを表わすものです。表現であってその方ご自身ではありません。この状況での栄光は輝きのイメージでしょうか。ステファノは父の栄光を目にしましたが、御父ご自身を見てはいません。けれども、御子については、「人の子が神の右に(すなわち栄光の輝きの右に)立っておられるのが見える」と証言しているように、御子イエスご自身を見たのです。

私たち人間が御父に謁見できるのは終わりの日に天に挙げられて後のことで、世にいる限り父の御顔を直視することができません。第一テモテ書6章15、16節には、「神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です」と書かれています。主イエス御自身も「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである」(ヨハネ福音書6章46節)と語っておられ、使徒ヨハネはその福音書の1章18節にて、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」と証ししています。旧約聖書でも御神ご自身がモーセに、「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである」(出エジプト記33章20節)とおっしゃっています。ところが、同じ出エジプト記33章でも11節においては、「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた」と記されているのです。11節には神の御顔をモーセが見たと書いてあり、20節には見ることができないと書いてあります。こういう不可解な記述に気づいたら、まず直近の前後関係を読み比べます。それでも理解が難しい場合には、聖書全体の調和から考えてみましょう。すると、次のような結論に導かれます。出エジプト記33章11節でモーセが顔と顔とを合わせて語った主は御子キリストであり、御顔を見た人は生きることはできないと20節で言われた御方は、天の御父であると。モーセは、父なる神の背中を見せられたものの御顔を拝見することは許されなかったのです(23節参照)。

父なる神の御尊顔を拝謁することは、この世ではできないのです。ステファノの辞世も、旧約ならびに新約聖書全般の記録と一致しています。

世の終わりです。間もなく主イエスさまが、千々万々の天使たちを従えておいでになります。完全な救い、永遠の命、罪の滅亡。その時が近づきつつあります。しかし、その前に、「偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす」(マタイ福音書24章11節)と警告が与えられていることを見過ごしてはなりません。本物が来られる前に偽物が出現しかす。そして、これまでのことを踏まえて大切な教訓に至ることができます。主イエス・キリストでもない者が「自分は父なる神と顔を合わせた」と述べているとするなら、それは偽預言者だと言わざるを得ません。

世の終わりです。本物の救い主が再びおいでになる前には、偽物も出没するでしょう。ステファノが聖書に精通していたように私たちも御言葉に日々親しんで、真実のキリストの御姿に信仰の目を向けたいものであります。


ステファノの最期の出来事からは、もうひとつの真実にも目を留めることができます。彼が石打ちで撲殺される現場に、若者サウロが居合わせたことです。「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」(使徒行伝8章1節)のでした。それどころか7章28節にあるように人々は自分が脱いだ服をサウロの足元に置いており、サウロは迫害の指揮官、またはリーダーだったと推測されます。

ご存知のとおりサウロは、主キリストとの決定的な出会いを経験し、後にパウロと改名し福音の宣教に献身します。『患難から栄光へ』の第10章には、「ステパノの殉教を目撃した人たちはみな深い感動をおぼえた。彼の顔に押された神の印の記憶と、聞いた人々の心を動かした彼の言葉は、目撃者の心にいつまでも残って、彼が宣べ伝えていた真理のあかしとなった。彼の死は教会にとって苦しい試練であったが、サウロが導かれたのはこのおかげであった。サウロは殉教者ステパノの信仰と忠誠、その顔にやどった栄光をどうしても記憶から消すことができなかった」と証しされ、「サタンよりも力強い神がサウロを選んで、殉教したステパノのあとに立て、宣教させ、主のみ名のために苦しませ、主の血による救いのおとずれを広く伝えさせられたのである」と続けられております。

一人の死が他の者を活かすようになるという点でも、ステファノの最期は主イエスさまと似ていると言えるでしょう。

私たちは、死について真剣に考えさせられる時代を生きています。志村けんさんの死は、激しい衝撃を与えました。コロナ肺炎で入院すると家族でさえも見舞いに行けないのです。そこで仮に命を落とすことになれば、ご遺体と火葬場で対面することすらできないかも知れません。「次に顔を見るのは天国」。コロナに感染しないように留意することも大切ですが、「次に会うのは天国?」という切迫感を持って充実した毎日を過ごすことも必要だろうと思います。そして必ず天国に行けるように信仰と希望と愛との生き方をすることは、もっと重要です。あなたは、どんな最期を迎えたいですか。

ステファノの死の時期は、旧約聖書のダニエル書でも預言されています。9章27節。「彼は一週の間、多くの者と同盟を固め 半週でいけにえと献げ物を廃止する」。今日は預言の勉強ではありませんので詳しくは申しませんが、「七十週の預言」の最後の一週間の出来事です。一週間を七年間と換算して、その半週、終わりから数えて3年半前に、主イエスが御自身を十字架に献げられたことによって旧約時代の「いけにえと献げ物が廃止」されます。それが紀元34年の春のことです。それから3年半の後、すなわち七十週の預言の最後の年である紀元37年秋、ステファノが殉教いたします。その最期を目撃したサウロにとっても、それは記憶から消し去ることができない出来事となり、主の福音が使徒パウロによって各地に伝えられる転換点となったのです。神は、主イエスの死とステファノの死の時期とを前もって予表なさることによっても、救いの知らせが世界中に広められるよう計画なさっていたのでした。

世の終わりです。聖書に記された将来の預言の中で、いまだに成就していないのは、キリスト再臨、千年期、永遠の御国等、いわゆる終末の出来事だけであります。今までの歴史が御計画に沿って実現してきたからには、これからも預言のとおりに導かれるでしょう。主イエス・キリストは間もなくおいでになります。ステファノが目にした御方、天が開けて、御神の右に立っておられるのを彼が目撃した御方が、もうすぐ来られるのです。その時、私たちは、父なる御神ご自身とも顔と顔とを合わせて相見えることが許されます。

「今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように」(黙示録1章4、5節)。


(2020/06/04)

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