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キリスト者と呼ばれる

使徒行伝11章からのメッセージ

「キリスト者と呼ばれる」

眞田 治

ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

使徒行伝 11章19~26節

 ある方が言っておられました。「私はクリスチャンです」と言うとハレルヤと言っているだけの軽い感じだけど、「私はキリスト者」と言えば、イエスさまのために忠実に生きる感じで気合が入ると。

なるほど。ちょっと説得力があります。日本語の表現の違いで、たとえば英語ではクリスチャンだろうとキリスト者であろうと“Christians”ですし、ギリシア語でも言い回しに違いはありません。ただ日本語の翻訳による差だけですが、使徒行伝11章26節で、大部分の日本語の聖書が「キリスト者」との訳語を選択している理由は、先ほどの人が感じておられるようなことかも知れません。

さて、今日のタイトルは「キリスト者と呼ばれる」とさせていただきます。「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(26節)のはアンティオキア(アンテオケ)の街のことだったと記録されています。自分たちのことを「私たちはキリスト者だ」と宣伝したのではなく、周囲の人々から「あの人たちはキリスト者だ」と呼ばれるようになったのです。その意味は、キリスト狂いだとかキリストバカとかで、いつでもイエスさまのことを語り、どこでもキリストのことばかり伝えるので、若干の敬意を抱かれながら半ば皮肉を込め、「キリストのことしか考えていない愚かな人たち」との趣旨で、あだ名でありました。しかし時が経つにつれ、「そうです、私たちはキリストのことばかり考えています」との自覚によって、「私はキリスト者」と自己紹介するようにもなったのでしょう。

「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(第一コリント書1章23~25節)。

仮に周囲の方々に理解してもらえなくても、私たちはキリストを第一とし、キリストを高く掲げ、キリストにより頼み、キリストを宣べ伝えます。「キリストのことしか分からない人々」と揶揄されることがあったとしても、それはキリスト者たる私たちにとっては、誇らしいことでさえあります。「誇る者は主を誇れ」(31節)です。

アンティオキアの街で、彼らは当初は、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を」語りませんでした(使徒行伝11章19節)。異邦人でも主イエス・キリストを信じる人がいて、異邦人でも聖霊を受けたと、情報としては知っていたかも知れませんが、積極艇に異邦人に伝道するつもりはなかったのです。それだけユダヤ人というのは民族意識が強かったということであり、より大きく考えるならば、人というのは人間関係の垣根を越えるのに困難を覚える存在なのです。しかし主は、それを乗り越えさせるため、すでに文化の壁を越えて来ていた人々を用いられました。20節。「彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」のです。文脈から判断して、この節での「キプロス島やキレネから来た者」というのは、ユダヤ人クリスチャンです。もちろん、「キリスト者」という呼称が誕生するのはこの後の26節ですから、20節の時点ではキリスト者とかクリスチャンとかは呼ばれていなかったのですが、分類としては、彼らは、イスラエル出身ではないユダヤ人クリスチャンでした。そして上記の聖句の「ギリシア語を話す人々」というのは、やはり前後関係から判断して、異邦人、外国人のことです。当時のギリシア語はアフリカ北部からヨーロッパにかけての公用語で、ヘブライ語に対しての外国語の代表だったのです。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」(21節)と証しされております。キプロス島やキレネから来たユダヤ人クリスチャンもギリシア語が堪能でしたので、彼らを主が助けられ、信じて主に立ち帰った外国人の数は多かったのです。

アンティオキアでの宣教について、うわさがエルサレム教会にも伝わりました。「教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた」(22~24節)のでした。バルナバの出身地はキプロス島です(4章36節参照)。アンティオキアの伝道者の中には同郷の人々も多かったでしょうから、彼の派遣は最適な人選でありました。主は、文化の壁を越えて御業を推し進めようとなさる御方ですが、文化を尊重して前進なさる御方でもあります。使徒行伝を読み進める際、言語や民族の相違にも目を留めると、現代の私たちが伝道をイメージするのにも有益です。日本の文化、たとえば、お盆の墓参りという大切な風習を超越して、ご先祖よりも大切な天の神さまを信じるように勧めなければ、福音が伝わりません。けれども、お盆の季節だからこそ死者の復活の話をする等、文化を活用した伝え方も必要です。今で言うと、コロナ禍だからできる伝道方法が、きっとあると思います。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(第二テモテ書4章2節)です。

さらに宣教を進展させるために主がバルナバを通して選び出したのは、後に使徒パウロと呼ばれるようになるサウロでした。「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」(使徒行伝11章25、26節)。

聖都エルサレム教会を本拠地とするなら、アンティオキア教会はこの後、異邦人伝道の前線基地として発展していきます。

彼らがキリスト者と呼ばれるようになる以前には、「弟子たち」というのが一般的な呼称であったことにも注目しなければなりません。「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。

弟子とは、ついて行く者とか習う(倣う)者とかいう意味です。バプテスマのヨハネの弟子たちが師匠の勧めにより、イエスの弟子になる場面を読んでみましょう。ヨハネ福音書1章35~39節。

その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ―『先生』という意味―どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。

「従う」も「ついて行く」も、基本的には同じ意味です。弟子として求められる第一の要件が、従うこと、ついて行くことであると上記の聖句からも分かります。あるいは漁師たちを主イエスが召し出される場面でも、やはり従い、ついて行くとの語が繰り返されるのです。マタイ福音書4章18~22節。

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

では、なぜ弟子は従わなければならないのでしょうか。それは、一緒にいなければならないからです。師と仰ぐ主と共にいることが弟子としての条件であるばかりか、救いの根拠でもあるからです。マタイ福音書1章21節では、マリアから産まれる男児にイエスと名付けること、そして、その名は救いという意味であることが述べられています。直後の23節では、その子には別名インマヌエルが預言されており、その名は「神、我らと共に」との意味だと言われます。神さまが私たちと共にいてくださることと救われていることとは、その男の子の御名において1つのことなのです。神によって救われた人は、神と共にいなければなりません。神が共にいらしてくださらなければ、救われていることにならないのです。

弟子とは、主なる神さまと共にある人です。なぜなら、その人は救われているからです。そして弟子はキリスト者、クリスチャンとも呼ばれます。一部の特別なクリスチャンだけが弟子なのではなく、キリスト者は全員がキリストの弟子です。主による御救いを受け入れた者、主に従い主と共にある者、それがキリストの弟子でありキリスト者と呼ばれます。神のひとり子イエスさまが私たち人間のところに来てくださいました。来てくださったイエスさまと一緒にいるために、私たちは主に従い、ついて行くのです。いつも一緒にいてくださるのだから、事ある毎に「イエスさま」、「キリストさま」と言い表し、「キリスト者と呼ばれるようになったの」でした。

クリスチャンの呼ばれ方で「弟子」について考えましたが、次に「神の子」という表現に着目したいと思います。日本語で「御子」とか「神のひとり子」とか言えば主イエスさまのことですが、人間を指して神の子と言う場合についてです。

ヨハネ福音書1章12節。「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」。別の翻訳では、「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」や、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」とあります。ここで「言」とか「彼」とか「この方」とか言われるのは、1節の「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」の「言」で、イエス・キリストのことです。イエスさまを受け入れ、信じる人々には、神の子となる資格、神の子となる力、神の子となる特権が与えられています。主イエスさまを受け入れ、信じる人々というのは、キリスト者、私たちのことです。私たちはすでに神さまの子どもなのです。

有名な放蕩息子のたとえ話を、思い出してください。ルカ福音書15章11~32節です。ある父親に息子が2人いて、次男のほうが父親の財産を生前贈与してもらったのですが、それを旅先で使い果たしてしまい、社会の底辺に身を落としたのです。次男は父の家に帰ろうと思い立ち、次のような謝罪の言葉を考え付きます。17~19節。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と」。

彼は、もはや自分には子としての資格がないので、雇い人として帰宅したいと思ったのです。しかし父は、彼を元通りの息子として受け入れ、盛大な宴会まで催すこととなります。。

さて、この次男。どのタイミングで父の愛を知ったでしょうか。世間一般の雇用主よりも自分の父親のほうが少しは善良だから父の家に雇い人の1人として帰ろうと決意した時点では、まだ愛を知りません。実際に帰って、無条件に子として受け入れられて、初めて事実を知るのです。どれほど親の愛が大きいかということを。

私たちの信仰は、どの立場でしょうか。しっかり働いて気に入られないと救われたと感じない、雇い人(しもべ)でしょうか。子としてすでに愛されている平安の中にいるでしょうか。

キリスト・イエスを受け入れ信じた人は、神の子です。その人が神の子にふさわしいからではなく、特権として神の子と呼ばれるのです。「この者を神の子とする」と神ご自身が定めてくださったので、恵みにより信仰により、すでに私たちは神の子です。

ローマ書8章17節には、「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」とあります。子は、親のものを受け継ぐのです。例の放蕩息子は、子として迎え入れられたと同時に、良い服・指輪・履物など、父親の思いやりや権威、信頼などを象徴する品々を与えられました(ルカ福音書15章22節参照)。父が所有しているものを子は相続します。私たちも父なる御神の財産―聖、永遠、愛、権威など―を、子としての特権により与えられています。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ書8章31、32節)。すべてを、そう、すべてを神は神の子たちに与えてくださっています。あなたはそれを信じますか?そう約束してくださった御方をあなたが信じて生き始めるなら、あなたは、ますます豊かな恵みを体験できるようになります。

父なる神さま。私を、私たちを、神の子としてくださった幸いを感謝いたします。

私たちは、すでに神の子です。ひとり子イエスを主と信じたからです。

私たちは主イエス・キリストの弟子です。なぜなら主が、いつも一緒にいらしてくださるからです。

私たちはキリスト者と呼ばれる者です。主イエスさまを賛美し、語り、主イエスさまの御名前によって祈り、主の福音の道を歩んで参ります。約束されたとおりの祝福を、あふれるほどに授けてくださいますように。

(2020/07/24)

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