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信仰の戦い

更新日:2020年8月21日

使徒行伝6章からのメッセージ「信仰の戦い」


SDA仙台教会 眞田 治


さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

使徒行伝 6章8~15節

上記の聖句は使徒行伝6章の後半で、ステファノ(ステパノ)が登場します。次の使徒行伝7章でも、やはり中心人物はステファノです。彼の名前が聖書に最初に紹介される使徒行伝6章の前半に、まず目を向けてみましょう。1~7節です。

「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。』一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。

こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」

当時のキリスト教会には、ギリシア語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人という、2つのグループがあったようです。場所はエルサレムに限られています。それ以外の地域にはまだ福音が伝えられていないか、信徒がいたとしても教会を設立するほどまでには人数が増えていなかったのです。だからこの時点で、キリスト教の教会があるのはエルサレムだけでした。世界で最初の、ただ1つの教会内に、すでにグループが、いわば派閥が存在していたのです。

ある心理学者の先生が言っておられました。人が3人以上集まると必ずグループができます。それが悪いのではなく、派閥争いにまで発展すると問題なのです。彼らの争いは、ギリシア語のユダヤ人とヘブライ語のユダヤ人との間で起きました。

エルサレムという土地柄、ヘブライ語を話すユダヤ人が多く住んでいました。ペテロやヨハネといった使徒たちも、ギリシア語よりもヘブライ語を得意としていました。しかし、「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んで」(2章5節)いました。エルサレム以外で生活するユダヤ人を「ディアスポラ」と呼ぶことがありますが、彼らは血筋も宗教もユダヤ人、けれども永年にわたり外国で暮らしていたため、言語や文化は各々の地域に慣れ親しんでいたのです。そういうディアスポラの人々は、通常は地元の小さな会堂で神を礼拝しますが、さらに信心を深めるために神殿のあるエルサレムに帰郷して住み着く人も、少なくなかったようです。当初はヘブライ語のユダヤ人が中心だった弟子たちも、「ペトロの言葉を受け入れた人々はバプテスマを受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」り(2章41節)、「二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」り(4章4節)する過程で、ギリシア語を話すユダヤ人で主イエスを信じる人々も増えてきたのです。話す言語や出身地の違いとは関係なく、「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」(4章32節)のですが、リーダーである12使徒たちは皆ヘブライ語を母国語としていましたので、どうしても人脈が近い側からの要求に耳を傾けがちで、知らず知らずのうちに教会内に格差が生じたのでしょう。その結果、「弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た」(6章1節)のでした。「それは、日々の分配のことで仲間のやもめたちが軽んじられていた」という事情です。

派閥があるのは悪いことではありませんが、そこに争いが生じるのは避けなければなりません。使徒たちが打った手は、ギリシア語の側にも新たにリーダーを立てることでした。しかも選ばれた人々は品物を平等に分配する才能に長けた有力者よりも、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人」(3節)だったのです。その中の1人が「信仰と聖霊に満ちている人ステファノ」(5節)でありました。


使徒行伝を読む際、場面ごとの地域や民族、そして文化にも留意すると、よりよく分かります。6章では、地域はエルサレム、民族はユダヤ人です。そこまでは単純なのですが文化が複雑で、ギリシア文化の人々とヘブライ文化の人々とが混在していたのです。当時のギリシア語は国際的な共通語で、コプト語の人もラテン語の人も、多国間の人々が集まればギリシア語でコミュニケーションしていました。現代の英語のようなイメージです。エルサレムの観点では、ヘブライ語に対する外国語の代表がギリシア語でした。ヘブライ文化とは異なる外国文化の象徴がギリシア語だったのです。言語の違いだけなら通訳を介せば対話できますが、それより微妙な文化の相違があったのでした。ユダヤ宗教の中心地エルサレムで先祖代々生活してきた人と、信仰の成長を求めて移り住んで来た人。ユダヤ宗教の生活様式が身についている人々と、厳格な戒律や言い伝えを文字どおりに取り入れると経済や日常生活が成り立たない人。はい、確かに両者とも、イエスさまを救い主として信じて受け入れました。キリストの弟子として同じ教会に所属しています。それらは両者の共通点です。でも、同じ信仰を与えられたからと言って、おいそれとは乗り越えられない文化的な壁があるのです。

私たちの教会を考えてみましょう。セブンスデー・アドベンチスト仙台教会でバプテスマを受けてずっと仙台教会で信仰を守っている方々と他から転会して来られた方々とでは、意識の違いがあるかも知れませんね。青森南教会の場合は、津軽三育医院や津軽三育介護サービスで勤務している方々や患者さん・利用者さんと、三育医院との関わりが小さい方々とでは、いろいろ違いがあると思います。違いがあるから悪いのではありません。簡単には解決できない葛藤を、2000年前の弟子たちも、私たちと同じように経験していたのです。

2000年前の教会が文化の障壁を打ち破って福音を伝えるために取った方法は、ヘブライ文化のユダヤ人リーダー(使徒)だけでなく、ギリシア文化のリーダーをも選任することでした。その中の1人がステファノだったのです。


6章8節。「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」。(1~7節は教会内での出来事、8~15節は教会の外での出来事)

質問です。上記の聖句の「民衆」とは、おもにギリシア語を話す人々でしょうか、それとも、おもにヘブライ語を話す人々でしょうか。

はい、そうです。ステファノはギリシア文化側のリーダーとして立てられたのですから、彼が御業を進めたのも、ギリシア語を話すユダヤ人に対してでした。

次の9節を見てみます。「ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した」。キレネもアレクサンドリアも、キリキアもアジアも、要するにエルサレムではありません。ギリシア文化圏のユダヤ教徒たちが、ステファノに反対して議論をしかけてきます。信じてくれなかったのです。「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」。奇跡的なしるしを見せられても、ステファノが語る福音を彼らは受け入れません。しかも彼らにとっては聞き慣れたギリシア語で語られているのに、真剣に耳を傾けようとしないのです。

今回のメッセージのタイトルは「信仰の戦い」としました。信仰の戦いは教会の内にも外にもありえます。よくある内側からの争いは、不一致です。教会の一致を保つために、ペテロたち使徒は、両方の側にリーダーを擁立して対応しました。また一方、教会の外からの厄介な敵は、迫害です。ステファノも迫害されたのです。ギリシア文化に生まれ育った人々への奉仕者・宣教者として召命された彼が、そのような人々に伝道したにも関わらず、信じてはもらえませんでした。「信仰と聖霊に満ちている人」ではあっても、適材適所でも、思いどおりの結果には至らなかったのです。信仰には戦いが伴うということを、私たちは見過ごしてはなりません。

では、ステファノは、どのような戦いを強いられたのでしょうか。彼が語った内容そのものは次号の7章で分かち合いますが、今回は、主イエスさまの福音に反対する人々の論点に着目してみます。

反対する人々はステファノと議論しましたが、10節。「しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった」。11節。「そこで、彼らは人々を唆して、『わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせ」ました。

彼ら反対者たちは、自分たちのほうが論理的にも霊的にも間違っていることに気づいていました。だから自分たちで正面から対応せず、人々を唆して(そそのかして)、事実とは異なる側へと誘導せざるをえなかったのです。これはキリストに対抗する勢力の常套手段です。使徒行伝の中でも繰り返されるパターンですし(17章5~8節、19章23~27節等)、主イエスさまの裁判の場面でも見られます(マルコ福音書15章11節参照)。自分に落ち度があると分かっていながら自己主張したい人々が多数派工作を謀ることは、現代でも珍しくありませんよね。

ステファノが「モーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」との彼らの主張も、そそのかされて言ったのですから、もちろん作り話でしょう。モーセは旧約聖書の(前半の)著者ですね。「聖書と神を冒涜した」と彼らは言いたかったのです。さらに彼らは多数派工作をヘブライ語のユダヤ人へも広げつつ(6章12節)、「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』」(13、14節)と、偽証人まで立てて言わしめます。聖なる場所とはエルサレム神殿のことです。律法とはこの状況では旧約聖書のことです。聖書と、神と、神殿。ユダヤ宗教の根幹をなす事柄を汚したとして、反対者たちはステファノを糾弾したのです。

では彼らの訴えは、どのように間違っていたのでしょうか。最初の2つ、聖書と神については、次の7章を読めば、聖書と神に対するステファノの堅い信仰が一目瞭然です。聖書と神を忠実に信頼していたのに、彼らは真逆のことを言いました。日本でも「うそ八百」という言い回しがあるように、真実は1つでも、うそなら幾らでも並べられます。

セブンスデー・アドベンチストに対しても、うその悪評が出回っています。聖書の記述に反して日曜の礼拝日を守っていない。本当でしょうか(日曜日が主日ではないのは本当ですが、聖書の記述に即して第七日安息日を守っています)。主イエスよりもエレン・G・ホワイトを信じている。本当でしょうか(エレン・G・ホワイトの証しも参考にして神の御子イエス・キリストを証しします)。

うそには、真実とは真逆のうそもあれば、真実に偽りを織り交ぜたうそもあります。神殿についてステファノは、「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」(7章48節)と言いました。主イエスさま御自身も、「この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(ヨハネ福音書4章21節)と語られました。それが神殿への冒涜だと言われれば、そうとも言えるのかも知れません。けれどもそれは、旧約聖書イザヤ書66章1節に「主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこにわたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか」と書かれた御言葉に基づいた信仰ではありませんか。あるいはイエスさまは、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ福音書2章19節)とも語られましたが、主イエス御自身が神殿を壊すぞと言われたのではありません。それどころか「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスが語られた言葉とを信じた」(21、22節)のです。マルコ福音書14章56~59節に記録されているように、イエスさまの裁判でも「この神殿を壊してみよ」との御言葉について揚げ足を取ろうと偽証人が立てられましたが、「彼らの証言は食い違った」(59節)のでした。

反対者たちは、十字架の直前の裁判でも証拠不十分とされた偽りの証言まで再び引っ張り出して、ステファノを追い詰めようとしたのです。「うその上塗り」ということわざもありますね。使徒行伝6章11~14節の騒ぎを熟読してみると、上塗りされた内側が透けて見える気がいたします。


現代の信仰の戦いはどのようなものでしょう。先ほどは、内側の争いは不一致、外側からの敵は迫害だと書きましたが、心当たりがあるでしょうか。まがりなりにも現代の日本では信教の自由が保障されていますので、迫害という表現は少々異なるかも知れませんが、信仰を守るための苦悩は、各々おありだと思います。(コロナ対応で礼拝に行けない苦悩、コロナ感染を恐れながら教会に行かなければならない苦悩。各々考え方は違っても、悩んでおられますね。)

では、内側と外側の戦いに、共通する信仰の敵は、なんでしょう。もちろんサタンであり罪ですが、もう少し具体的に、なんでしょう。それは、偽りです。間違った、うその教えが、教会をかき回すことです。ステファノも偽りによって攻撃されました。

私たちは、イエスさまのことを正しく理解しなければなりません。信仰を奪い去ろうとする試みには、うそ・まやかしが混ざります。その偽りに流されず真実のキリストに留まり続けましょう。そして、偽りに対するただ1つの防壁は、聖書です。恵みにより信仰により私たちを救うために十字架に御自身を捧げられた御方を、よく知らなければなりません。毎朝毎晩、聖書を読みましょう。特にマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書を繰り返し読んでください。聖書に記された主イエス・キリストが、やがて間もなく帰って来られます。その御方の真実の姿を、御言葉によって今日も知り続けていただきたいと願います。

「聖書の真理によって心を堅固にした人たち以外には、だれも最後の大争闘を耐え抜くことはできない。わたしは人に従うより神に従うべきかという鋭い質問が、一人一人に臨むであろう。その決定の時は今、目の前に迫っている。われわれの足は、変わることのない神の御言葉という岩の上に、しっかり立っているだろうか。われわれは、神の戒めとイエスを信じる信仰をとりでとして、堅く立つ用意ができているだろうか」(『各時代の大争闘』第37章より)。


(2020/05/21)

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