神様の木になりたい
- yamajisatoru
- 1月28日
- 読了時間: 2分
新年に入り、私のお気に入りになった一つの聖句を紹介します。
いかに幸いなことか
......
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
詩編 1:1-3
「何と幸せなのだろう!」
という意味のヘブル語、「アシュレー」(אַ֥שְֽׁרֵי)からこの詩編は始まります。
「こういう人になれたら幸せだな」
「こういう人生を送りたいな」
そんな憧れがこもった歌に感じます。
この詩編記者は、一体どんな生き方を「幸い」だと言っているのでしょう。
「主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人」
まさに、デボーションの生き方です。
み言葉を通して、神様のみ声を聞くことを愛する人。
み言葉を理解しようといつも頭の中に思い巡らせて、昼も夜も口ずさむ人。
その人は、大きな川のほとりに育つ木のようだ、と言います。
常に新鮮な水を根っこから受けて、生き生きと成長し、
鳥や動物や疲れた旅人が、自然とそばにきて憩い
その実を食べて元気づけられるような、そんな木です。
多くの人を祝福する木のような人になるために
まず、私自身が御言葉によって養われたいと心から祈ります。
三育学院教会の一人一人が、み言葉と共に歩み、
出会う人を癒し、生かすことができる
神様の木となることができますように。
(広島三育高校の卒業生が作成した讃美動画です)
山地悟
Comments