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  • 執筆者の写真孝 金城

首里教会だより 8月号

更新日:2020年8月21日

傷と癒しと優しさと

首里教会 牧師 関谷 修一



「十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分 の身に負われた。その傷によって、あなたが たは、いやされたのである。」1 ペトロ 2:24

第二次世界大戦中、人の居住地としては日 本で唯一の地上戦が沖縄で行われました。こ の美しい島と共に多数の命が奪われ、心も存 在も深く傷つけられたのです。しかし、それ にもまして今日の沖縄は明るく、人々の心は 優しい様に思えます。 人に憂いと書いて「優」という字になりま すが、傷があるからこそ人は優しくなれるの かもしれません。 私は若い頃、こういう心の傷というものは 早く癒してしまわなければならないと思って いました。早く癒すことによって健全な生活 に戻れるのであり、又そうなりたいと切に願っ ていたのです。 しかし今、神を知り、キリストの十字架を 仰ぐとき、むしろこの心の傷は大切にしなけ ればならないものだと思わされています。な ぜなら主御自身が「その受けた傷で」、私たち を癒されたのであり、私たちもその傷をもっ て主の癒しの働きに用いられるからです。傷 は痛みますから、普段は神の恵みによって優 しく包んで頂いています。しかし主が御入り 用の時には、必要な人のために私たちはその 傷を差し出すのです。 心の傷を受けることのない人などいません。 しかし、その傷を忌まわしいものとして嘆き 隠すことはありません。私たちがそれぞれ持っ

ているこの心の傷、それ故に私たちは神の愛 を知ることができ、優しさという恵みに生き ることができるからです。この傷は、私たち の宝です。 「わたしは傷を持っている/でもその傷の ところから/あなたのやさしさがしみてく る」星野富弘

教会花壇に長く咲いているサルビアの花、 花言葉は家族愛。「あなたは大切な家族です」 というメッセージをもつそうです。 私たち首里教会はメンバーひとり一人を家 族と考えています。「主にある家族」として イエス・キリストを中心とした兄弟姉妹、互 いに助けあい祈りあっているからです。 ずいぶん前に所属していたという方や、 たった 1 度だけおいでになったという方のた めにも、名前をあげて祈ります。愛する家族 が教会にお帰りになるように、また来ていた だいて喜び励ましあえるように。 ご近所さんや地域の方々のためにも祈って います。家族になりたいか らです。お一人暮らしでも、 ご実家が遠く離れている方 でも、安息日(土曜日)に は教会で共に集い、家族と しての交わりをお楽しみ下

さい。



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