「あなたと共に居ます」
首里教会 牧師 関谷 修一
青年の頃、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」という曲を好んで聴いていま
した。
『君が生きることに疲れ果て
みじめな気持ちで つい涙ぐんでしまう時
その涙を僕が乾かしてあげよう
僕は君の味方だから
君がどんなに辛い時にも
頼る友が見つからない時にでも
逆巻く波に架ける橋のように
僕がこの身を投げかけてあげる』
この曲が作られたアメリカでは当時、ベトナム戦争で多くの人々が出口のないトンネルの中にいるような苦しみを引きずっていました。新聞によれば、未だ帰還兵に精神的障害が存在し、その子供たちにまで枯れ葉剤による身体的疾患が見られたりするとあります。またその頃は、ケネディ大統領のみならず、キング牧師やロバート・ケネディ上院議員などが凶弾に倒れるという事件が続き、アメリカの病の象徴的時代でもありました。
この様な背景の中で、先の曲は作られます。詩は、ジュター神父のゴスペル曲「Oh Mary.Don’t You Weep」の歌詞が元になっています。そう、歌詞の「僕」とは救い主イエス・キリストを表しているのです。
涙は一人で流すものだとあきらめてしまっている人がいます。でも、本当にそうなので
しょうか。・・・「どうせこんな人生なのだから」と、自分の不真実な過去を振り返り、重荷の中で嘆いている人がいます。また思いもよらぬ突然の出来事に人生を翻弄されながら過ごしている人もいるでしょう。けれど、私たちはそれらの重荷をたった一人で負わなければ
ならないのでしょうか。
神は言われます、「わたしはあなたと共にいる」と。(イザヤ43 章2 節)
あなたの側近くにいて、あなたと共に涙を流してくれる人がいたら、どんなに心強いこ
とでしょう。イエス・キリストとは、人生の荒波逆巻く中で、あなたと共に重荷を負うた
め、その身を投げかけるように近づいて来られた神です。その方は「愛」の神であって、
誰でもこのキリストにあるならば、新しく人生を始めることができるのです。
初めて歩む一度きりの人生。ときに道に迷い、歩き続けることができなくて、その場に
うずくまってしまうこともあります。でも、一人ではありません。そう、私たちは決して
一人ではありません。イエス・キリストは、あなたと共に涙を流すためにこの教会であな
たを待ち続けているのです。
どうぞ目には見えなくとも、あなたと共に居られる神の平安と恵みが豊かにありますよ
うにとお祈りしています。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。そ
れは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
エレミヤ29章11節
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