礼拝「なおりたいのか(良くなりたいのか)」 南炯祐
聖書朗読 ヨハネによる福音書5:5-6
さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
心のマナ
救い主は、ご自分の血であがなわれた者をのぞきこんで、言い表しようのないやさしさと憐みとをもって、「なおりたいのか」と言われる。主はあなたに、健康と平安のうちに立ち上がりなさいとお命じになる。いやされたと感じるのを待ってはならない。キリストのみことばを信じなさい。そうすればみことばは実現する。あなたの意思をキリストの側におきなさい。キリストに仕えようと決心なさい。そうすれば、みことばを行うことによって、あなたは力を受ける。どんなに悪い習慣であろうと、長い間の放縦によって魂と肉体とをしばりつけてきた支配的な情欲から、キリストはわれわれを救うことがおできになり、また救おうと望んでおられる。彼は「自分の罪過と罪によって死んでいた者」に命をお与えになる(エペソ2:1)。キリストは弱さと不幸と罪の鎖につながれているとりこを解放される。希望への光767ページ